パリ・オペラ座【オネーギン】

日時:2020/3/6 19:00

会場:東京文化会館

座席:C席 17,000円

オネーギン:ユーゴ・マルシャン

タチヤーナ:ドロテ・ジルベール
オリガ:ナイス・デュボスク

レンスキー:ポール・マルク

 

 初オネーギン且つ(ほぼ)初パリオペ。良くも悪くもお上品という印象が終始続きました。ドラマ性はあまり感じず、お上品。マリインスキーのように見目揃えているようでもないのにこのお上品さは流石パリオペと言ったところなのでしょうか。ROHのマリアネラかサラで見たい気もしますが、私的にあそこの男性陣でオネーギンに合いそうな人はいないので、やはりプーシキン本拠地おロシア、ボリショイで演劇性たっぷりなオネーギンを見たいところです。

 

色味が地味!!!!がまず第一印象。知ってたw 知った上で見たけどそれでもやっぱり地味~~~!!!と思いました。鏡でさえ地味に見えた笑 華やかなキャタクターがそもそも舞台上にいない、オリガは軽いかわいこちゃんだったけど。オネーギンを主軸にするかタチヤナを主軸にするかで感想がかなり割れる印象だったけど、私が見たユーゴxドロテのオネーギンは主役が変わるオネーギンだった。1幕はオネーギン、2幕で移ろい、3幕はタチヤナになる。たぶん、オネーギン主軸のままならロシアの雰囲気たっぷりの鬱エンド、タチヤナ主軸ならば少女から女性への理性的変貌、あたりがしっくりくる感じなのかな。それが私には2幕でグラデーションのように替わったように見えました。

ユーゴ・マルシャンはとても若かった。若い故に、若いオネーギンに説得力があった。そんなふうに見えました。高等教育を受け、生活に余裕があり、倫理観も備わっていて、でも退屈で若い。若いオネーギンです。ちょうど大学生くらいのイメージ。退屈そうなんですよね、かなり。でも面倒はいやだ、だから熱い視線を向けてくる田舎娘が邪魔くさい。彼のオネーギンは友情に厚くはないけど、失礼な男ではないと思いました。よく言うじゃないですが、振るならはっきり言ってくれみたいなやつ。それ。夢見がちな少女の夢を壊し自分はそんな人間ではないよ、と手紙を破ってさようならをする。手をあげないんですよ、教育を感じます。でもだからこそ、2幕には説得力を感じませんでした。ロシア史はまったく門前外なので銃を構えることがどれほど軽いことかわからないけど、止めたそうでもなければイラついてそうでもない、なんで泣いてるのかもよくわからないオネーギン。3幕は在りし日の情景に浸った上での手紙PDDに見えた。しかし‥あれはわたし的にいただけない‥終始八の字眉毛でキャウ~ンしてて年上が縋ってる感ゼロ!ずっと子犬!ロマンチックさが死んだw (演技面ではないけど指先がきちんとキツネちゃんだったのでそういうタイプか〜と思ったんですがこれはパリオペ仕様?レンスキーは覚えてないから気にならなかったってことなのかなーわからない)(自然な手先が好き‥)

ドロテ・ジルベールも初めて見たんだけど彼女何歳なんだろう‥36!ほう。まぁでも若いときから大人っぽい顔してたんだろうな。ユーゴが若!だったからドロテがすごく年上顔してて私にはそこがちょっと気になるとこだった。これはザハ姫とポルーニンのジゼル見たときと同じ感想。覚醒したというより元々理性的な女の子が都会から来た美しい年上男性に😍となってしまい、でも元が頭の良い女の子だから凛とした女性になった。という感覚。変化という意味ではオネーギンに軍配だけど、ドロテのタチヤナは3幕の特にグレーミンとのPDDが素晴らしくてこれぞパリオペの美しさ!これぞ知性と理性と美しさを兼ね揃えた若い妻!みたいな。そう変わるわけないんだけど、きちんと少女の面影というか成長過程が見えるドロテだった、のがドラマチック性に欠ける理由でもあったかもしれない。少女の時代は、う〜ん、私にはちょっと地味に見えた。やりすぎは難しいしなーとも思うんだけど。ジゼル見とけばよかったなって思います。

パリオペは私の中ではやはりマリインスキーに近いイメージです。お上品で統一感がある、そういう教育を受けた生徒を自分のところから引っ張ってきている感じ。意外と華やかさを感じなかったのは演目のせいなのかな?わからない。こうやって他を見てると、ボリショイって全部派手なんだな‥と思うなどしたんですけどボリショイでもオネーギンは暗いんだろうか。クランコの利権絡みでシネマ上映したことないから断片的な映像しかネットでも拾えないんだよなー‥

オネーギンという演目はどうか、と聞かれたら今のところはクランコと気が合わない気がする。まだまだ全然振付家とか作品とか詳しくないけど。なんとなくぶつ切りのイメージが強かったんですよね、踊りで語るけど踊りながらは語ってないというか、ストーリー進行とダンスが別離してるような印象です。シネマみたいなアップで見たら感想変わりそうな気がすごくするけど‥笑 そもそも上品なオネーギンと大人しいタチヤナですから感情表現が大きくはならないのがおそらく前提にありますよね、それが私みたいな初心者には難しく感じる理由なのかもしれない。

疑問が浮かんだのですが、そういえば今回のパリオ特異点かもしれないけど、レンスキーが死んでるにも関わらず「死」の香りがあまりしない作品だなとも思いました。オネーギンちょっと泣いてるけど。例えばラトマンスキーのロミジュリや誰でもいいけどジゼルとかは、個人的にはとても「死」を感じます。わかりやすく嘆くし、鬱々してる。けど、レンスキーは物語の構成上死んでもらいました!みたいな感覚がすごくあったんですよね。何が理由かまでわからんけど。

 

パリオペがオネーギン持ってきてもみないと思うけど、シュツットガルトがオネーギン持ってきたらチケット買うかなたぶん。比較検討をしたい。

あとハァ〜?とか言いつつやっぱり私はボリショイの群舞力と派手さが好きなんだなと実感させられました‥顔も派手。

 

最後に、こんな状況のなか上演を決めてくださったNBS、文化会館、なによりパリオペの皆さんに大きな感謝を。

 

https://www.nbs.or.jp/stages/2020/parisopera/index.html